臨済宗 妙心寺派 金鳳山

足あとを訪ねて

知恵伊豆と称えられた天才老中

松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)

信綱は慶長元年(1596)、徳川家康の家臣大河内久綱の長男として、武蔵国(現埼玉県)に生まれました。6歳にて自ら望んで叔父松平正綱の養子となり、江戸幕府第3代将軍となる家光の小姓として出仕、そのまま老中まで登り詰めました。家光亡き後も第4代将軍家綱の老中として留任し、幕藩体制の完成に大きく貢献しました。

江戸幕政下では島原の乱鎮圧、明暦の大火処理、また第5代川越藩主として玉川上水・野火止用水の掘削等を行い、数々の優れた手腕は知恵伊豆(ちえいず)と称えられ、多くの逸話を残しています。

信綱は大河内松平家を興し、初代からの菩提寺となっているのが平林寺です。一族の廟所は平林寺境内林にて300年以上の時を経て、今もなお厳粛な雰囲気を漂わせています。

足あと
本堂大河内松平家表紋「三蝶の内十六葉菊」裏紋「三ッ扇」の荘厳な戸帳を見ることができます。
大河内松平家廟所約3,000坪の墓域に、一族の墓石160基余りが配されています。
松平伊豆守信綱夫妻の墓埼玉県の史跡に指定されています。
野火止用水埼玉県の史跡に指定されています。

独自の世界観を極めた文人画家

富岡鉄斎(とみおかてっさい)

鉄斎は天保7年(1837年)、曹洞宗大本山永平寺の御用達である京都の法衣商に生まれました。好学家の父の影響で幼少より学問をたいへん好み、京都一流の学者や芸術家の私塾で国学・漢学・陽明学・詩文等を学びました。絵画は二十歳前後から始め、某大な知識と読書量を背景に、独自の世界観を描く才能を開花させていきました。鉄斎は儒学者を自認していましたが、描いた絵画作品は二万点以上と言われています。生涯飽くことなく学びと画技の向上に情熱を注ぎ、老いるほどにその境涯は磨かれていきました。

鉄斎は座右の銘「万巻の書を読み、万里の道を往く」のとおり全国を遊学。北海道、長野、山梨、長崎他を旅し、明治22年(1889)52歳のとき平林寺にも訪れています。平林寺には、日本に書法・篆刻等を伝えた独立性易(どくりゅうしょうえき)禅師を祀る戴渓堂があり、鉄斎の筆録が残されています。鉄斎は独立禅師を尊崇したといわれ、独立禅師が著した『独立性易真蹟書論』も有していました。この書論は松永安左エ門の手を経て、現在は平林寺の蔵書となっています。

足あと
戴渓堂独立禅師の高弟の発願により正徳3年(1714)に建立されました。

気骨に溢れた近代日本の財界人、茶人

松永安左エ門(まつながやすざえもん)

安左エ門は明治8年(1875)、長崎県壱岐の大実業家の長男として生まれました。福沢諭吉の『学問のすゝめ』に深く感銘を受け慶応義塾大学に入学、諭吉に薫陶を受けます。早々に社会に出た安左エ門は日本銀行勤務、材木や鉱山経営等を経て明治42年(1909)、福博電気軌道専務に就任。のち東邦電力、東京電力を設立し、電気事業を通じて日本の政治経済に深く関わっていきました。戦争の激化に伴う電気事業国有化政策のもと、一旦は政財界を引退しますが、戦後、時代の要請により復帰。困難を極めた電力民営化を実現し「電力王」「電力の鬼」と呼ばれました。

安左エ門は60歳を過ぎてから茶の道に入り、原三渓、益田鈍翁とともに近代三大茶人のひとりに数えられています。論語の「六十にして耳順う」から号を耳庵(じあん)としました。安左エ門は、平林寺門前の屋敷地に飛騨高山から移築した古民家を「睡足居」と名付け、そこで催す気楽な茶会を楽しみとしたそうです。当代きっての数寄者でもあった安左エ門は、多くのゆかりの品々を平林寺に寄贈しています。昭和46年(1971)95歳にて死去。遺志により葬儀も法名もなく、平林寺境内林の一角に静かに眠っています。

足あと
山門金剛力士像は安左エ門寄贈です。
旧半僧門安左エ門寄贈。半僧坊感応殿の手水舎の奥に移築されています。
下卵塔安左エ門の墓があります。
睡足軒の森安左エ門の別邸だった場所。睡足軒は国登録有形文化財です。

日本画の新時代を切り拓いた巨匠

速水御舟(はやみぎょしゅう)

御舟は明治27年(1894)東京浅草に生まれました。幼い頃より絵の才能を発揮し、若くして日本画壇において活躍します。
御舟は大正12年(1923)3月から12月まで、平林寺境内に仮住まいしています。位牌堂(入山禁止区域内)を画室とし、雲水と修行生活をともにしながら峰尾大休老師に参禅、禅の修養に励みました。御舟の代表作として名高い『炎舞』(重要文化財)は、この2年後に描かれています。御舟は平林寺仮寓のあとも新座市に留まり、平林寺境内林他、新座近辺の武蔵野の風景や人々の暮らしの様子を作品に残しています。昭和10年(1935)40歳にて急逝。西洋画にも果敢に学び、日本画を新たな時代へと導いた功績は大きく、今でももっとも人気の高い日本画家のひとりです。

足あと
平林寺境内林業平塚から歴代塔所にかけての境内林が作品に描かれています。
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