臨済宗 妙心寺派 金鳳山

書 画

平林寺の収蔵品

平林寺中興開山 鉄山宗鈍禅師の書

鉄山禅師の頂相

頂相(ちんそう)とは、禅僧の肖像画です。

平林寺の中興開山鉄山宗鈍禅師の頂相は、鉄山の法嗣(はっす)である剛宗宗紀(ごうじゅうそうき)が住持をつとめた、京都妙心寺の塔頭のひとつ養源院(ようげんいん)から譲られたものです。

賛(さん)は鉄山禅師85歳のときの書。京の宗英信女の求めに応じて書いた、とあります。

咄ヶ画師絵甚麽 虚空本
自没蹤由 看々不変真如相
明月清風千古穐 洛之宗英信女写予幻質
以求賛 鳴呼其孝心山高
海深不遑辞 仍製埜偈
一篇以書于厥上 尓云
元和初暦乙卯八月日 鉄山叟懶斎暮齢八十五載
操禿筆於西京花園之
北房大龍室中

鉄山宗鈍像

鉄山宗鈍像
鉄山宗鈍持参
一幅
江戸時代 元和元年(1615)

中国の故事にちなんだ偈

中国江西省の風光明媚な地として知られる廬山。この偈は、その廬山東林寺(とうりんじ)にまつわる「虎渓三笑(こけいさんしょう)」の故事と、宋代の詩人蘇東坡の詩「題西林壁(西林の壁に題す)」をふまえて書かれました。東林寺と西林寺を並べることによって、平林寺を想起させたものとも考えられています。

署名「懶斎(らんさい)」は、鉄山禅師の別号です。

黄金国土排双刹
碧玉楼台別一天
終古難追三咲跡
虎渓月白水涓々
右東林寺之詠
廬山外集
懶斎道人書

鉄山宗鈍墨蹟

鉄山宗鈍墨蹟

一幅
江戸時代

鉄山禅師語録『懶斎集』

『懶斎集(らんさいしゅう)』は、元亀年間(1570-1573)から慶長年間(1596-1615 )に渡る鉄山禅師の法語や詩、偈頌等を収めた語録です。『霊光仏眼(りんこうぶげん)禅師語録』ともいわれ、乾坤(けんこん)の二巻から成ります。坤巻の奥書には、享保15年(1730)7月(孟秋)21日に、平林寺10世東巌禅海(とうがんぜんかい)禅師が筆写したとあります。

平成29年(2017)には、鉄山禅師400年遠諱を記念して『訓注 懶斎集』乾坤二巻が発刊されました。

懶斎集
鉄山宗鈍著
二冊
江戸時代

『懶斎集』坤巻の奥書。
「東巌禅海」と記される。

乾巻の「四季詩題雑之部」には、鉄山禅師が徳川家康(亜相公/あしょうこう)に請われて武州(ぶしゅう)平林寺の住持となった際の頌(じゅ)が記されています。

(※)

受東八州都督亜相公請 住武之金鳳山平林禅寺拙偈 西来万里担蒲団 坐則乾坤心地寛 金鳳巣林古禅刹
単丁住院一枝安   平林寺入院之頌 武州岩築 天正廿壬辰年六月十有六日 ○ 平林寺元在岩築

(※)最後の3行から、
次頁1行目まで

(※)前頁の最後3行目から、
当頁1行目まで

自筆の俳韻句と花押

『左花右竹(さかうちく)』は、鉄山禅師自筆の俳韻句集。「左花」と「右竹」の上下2巻から成ります。各巻の巻首と巻末には「黙忤(もくご)」という自著と、鉄山禅師の花押がみられます。

左花右竹
鉄山宗鈍筆
二冊
江戸時代

「左花」の巻末。

「右竹」の巻末。

日本篆刻の祖 独立性易ゆかりの書画

松平信綱と性易の出会い

万暦24年(1596)、中国に生まれた独立性易(どくりゅうしょうえき)は儒学と医学に優れ、明朝に仕官した後、長崎に渡りました。黄檗宗の祖である隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師のもと得度した独立禅師は、隠元禅師に随待して江戸に登り、第4代将軍徳川家綱に謁見します。

そこに同席していたのが、当時の幕府老中松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)でした。儒者で、かつ医術を施し、能書としても高名であった独立禅師との出会いに、信綱は大いに感銘を受け、自身の菩提寺である平林寺を案内したと言われています。

中国から渡来した黄檗派僧侶の書風は、当時一般的だった和様(わよう)に対し唐様(からよう)と呼ばれました。唐様の書は、日本の儒者や文人等の知識階級に受け入れられ、日本での本格的な書の成立に、大きな影響を与えました。

独立性易墨蹟
七言絶句
江戸時代

書を学問としてとらえた書論

独立禅師が書を文字の学問として論じた『独立性易真蹟書論(どくりゅうしょうえきしんせきしょろん)』は、日本の書法の原点として、今日でも貴重な資料とされている書です。

本書は題字、自叙、斯文大本(しぶんだいほん)、自跋(じばつ)、再跋(さいばつ)から成り、斯文大本はさらに序文、六義原本、書法原本、臨池二用に分けられ、独立禅師の筆による見事な篆書、隷書、草書をみることができます。

題字は篆書。独立禅師の筆による。

隷書で記された「自叙」。落款は「独立」。

独立禅師を私淑した鉄斎

儒学、医学、書に秀でた独立禅師を、明治初期の文人富岡鉄斎は大いに尊崇していたと言われています。鉄斎は、独立禅師が祀られた平林寺戴渓堂(たいけいどう)を訪れ、自ら携えていた『独立性易真蹟書論』の巻末にスケッチしました。独立禅師の人相画は、戴渓堂内に安置されている独立性易像を写生したものと考えられています(※)。

これらはすべて、後世になって、近代日本の実業家で茶人の松永安左エ門(松永耳庵)が入手し、その後、平林寺第22世白山敬山老師の代に寄贈さたものです。

『独立性易真蹟書論』表紙。題字は鉄斎筆。

書論が収められた箱の、鉄斎による箱書き。

鉄斎が描いた戴渓堂のスケッチ

鉄斎が『独立性易真蹟書論』巻末に描いた、
戴渓堂のスケッチ。

鉄斎が描いた独立性易像

(※)独立性易像
富岡鉄斎筆
一幅
明治22年(1889)

(※)
武州野火留平林寺
戴渓堂
独立師
木像
鉄斎摸

寛文二年十一月六日寂
七十一葬于黄檗山

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