臨済宗 妙心寺派 金鳳山

沿 革

平林僧堂のなりたち

妙心寺派関東初の江湖道場

初代師家履歴

  • 平林寺21世峰尾大休(みねおだいきゅう)老師は、万延元年(1860)武蔵国南多摩郡(現八王子市)に生まれ、明治5年(1872)兜率山西笑院にて得度。受業師の示寂に伴い、同13年(1880)鎌倉円覚僧堂に赴き今北洪川老師に相見、掛錫を許された。同年、西笑院住職に就任するも参禅を続け、同24年(1891)洪川老師遷化の後は、遺命によって釋宗演老師に参禅し、印可を受ける。

  • 円覚僧堂を辞したのち西笑院に帰山、堂塔の修復等に勤めるなか、同31年(1898)円覚寺の本師宗演老師より招請を受け横浜寳林寺に晋山、寳林僧堂(のち閉単)師家に就任した。また円覚僧堂では宗演老師に代わり師家代参を務め、雲衲の接化にあたった。

専門道場開単の機運

  • 当時平林寺では、同32年(1899)に示寂した平林寺20世鉄牛祖印老師による、叢林建立と師家の拝請が遺命であった。平林寺法類と檀家総代大河内家との協議の末、同34年(1901)平林寺に大休老師晋山。
    住職就任と同時に、平林寺に掛塔を願う雲衲や在俗居士が続々と参集した。妙心寺派の専門道場が名古屋以東になかったこともあり、これを機に僧俗多くの賛同を得て、いよいよ平林寺専門道場開単の運びとなった。

  • 大休老師と雲水

    大休老師と雲水
    托鉢に際して 昭和20年

僧堂の基盤づくり

  • 妙心寺本山の認可を受け、同36年(1903)平林僧堂開単。当初は法堂や塔頭に単を並べての仮禅堂での摂心であった。昭和4年(1929)念願の禅堂が落慶。
    大休老師の後を継いだ白水敬山老師は、猛修行に励んだ伊深正眼寺の、厳格な僧堂規矩を平林寺に移し徹底。また「雲水の修行には大自然が不可欠」という信念のもと、平林寺の周囲約43haの広大な雑木林を都市開発から守り、寺領(境内林)として保持した。同43年(1968)平林寺境内林は国天然記念物に指定。こんにちの平林僧堂に到る基盤を内外共に築き上げた。

  • 雲水と作務に励む敬山老師

    雲水と作務に励む敬山老師(左上)

  • 平林僧堂のいま

    開単より110年の年月を経て、平林僧堂は多数の雲衲を輩出し、会下は全国に広がる。また妙心寺住持の世譜にも平林寺住持の名が連なり、宗門における関東を代表する江湖道場として、その存在は確固たるものとなっている。
    臨済禅の法燈を掲げて、武蔵野の禅刹では日夜、雲水が禅道修行に精進している。

石室善玖坐像

平林僧堂門

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